PCのフォルダから、ピースボートに乗ってた時、最後の日にやった卒業式スピーチの原稿がでてきた。
すごーーく懐かしくなったので、とくに意味もなくupしてみます。
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ピースボートで得たもの、学んだこと。
積極的に人と関わって話をすること。
情報に振り回されずに、情報を見極めること。
想像力を持って考えること。自分と結びつけて考えること。
自分の考え、思いを表現すること。表現方法は無限だということ。
表現することは気持ちいいっていうこと。
大切だと思うことを無理なく、自分なりに続けていくこと。
全部、旅で人と出会って、人と話して、感じてきたことです。
私にとって、この旅は別れから始まりました。5ヶ月間、大阪のピースボートセンターでボランティアスタッフをしてきて、そこでの仲間がみんなこのクルーズに乗るわけではなかったので、これから地球一周だという感動と、毎日顔を合わせてきた友達と離れる寂しさと、なんだかよく分からない気持ちがいっぱい湧き出してきて、晴海出航は声を出して泣いていました。
船に乗って最初の頃、居場所が見つからずに、自分が大勢の中の一人でしかないように思えてめっちゃしんどかった。
「何かせな、このままじゃ乗ってよかったって言われへん」って焦ったけど、何をすれば自分が満足できるのか、全然分からなかった。悩んだし、迷った。いろんなことをやってみても、なかなかしっくりこなかった。
そんな中で、新聞局員たちが水案やスタッフや参加者に取材をしてるのを見て、ゆっくり話せるっていいなぁと、羨ましく思って新聞局に入りました。
記事を書いて言葉にすることで、いろんなことを頭の中で整理して考えることができました。なにより、新聞局が私にとって居場所になりました。そこに集まるみんなが、一緒にいればいるほど大好きになった。好きになったのは新聞局の仲間だけじゃなくて、
本当にたくさん、好きな人ができました。一緒にいて楽しいっていうだけじゃなく、心から大切やって思う人たちに出会えた。
すごいなって、尊敬できる人が船にはたくさんいました。いっぱい刺激されました。あったかかったり、やさしかったり、賢かったり、すごい特技があったり、努力家だったり。自分にないものをいっぱい持ってる人たちがいます。
私はこの3ヶ月で、
自分自身とも、出会いなおした気がします。
私は大阪の部落に育ちました。南アフリカに行ってタウンシップを見ても、ブラジルのファベーラで子どもたちと遊んでも、自分の親の生い立ちや、差別のこと、足元の部落問題のことを思いました。自分の立場っていうのは世界を見るフィルターになってるんだと思います。ほかにも、自分はこんなに寂しがりやったんかとか、ここまで子どもやったんかとか、こう在りたいと思う自分じゃない部分も改めて思い知らされて、凹むことも多かった。でも、逆にこんなこともできるんやって新しい可能性にも気付けました。目の前が開けた。すごいなって、思える人たちも話してみると、結構普通で、誰にでも何でもやれるんや、可能性ってこんなに広いものだったんだと、そう思えました。
結局世界を見てきて、見えたものは何のことはない、自分自身だった気がしています。それは大切なことだったと思っています。
私はこの旅でたくさんの「種」をもらったと思っています。
何かの「答え」ではなくて、可能性だったり、きっかけをもらいました。
水先案内人(ゲストスピーカー)として乗ってきた、田中優さんの言葉が心に残っています。
人には、地に足をつけて、地元で生きていく土の人と、世界を飛び回る風の人がいる。風の人と、土の人が手を取り合った時に、風土が生まれ、社会は変わるのだと思う私にとって土はやっぱり、自分の生まれ育った地域だったり、部落問題なのだと思います。風はピースボートでやっているようなことだったり。
私は土の人でもありたいし、風の人でもありたい。
風と土をつなげる人でもありたい。
贅沢かもしれないけれど、船を下りたらそういう生き方を私なりに探っていきたい。そういう風に、生きていきたいと思っています。
夢みたいやった。でもそれで終わらせたら無意味になってしまう。
だからこれからは、現実と向き合っていかないと、と思っています。
みんなと会えてほんまによかった。
ありがとう。
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